
酒蔵館の正面玄関は、長屋門をイメージしています。この入り口横にかけられている幕は、「太鼓幕」と呼ばれるものです。また、幕に書かれた「酒」という文字は江戸時代の文人の一人として知られている亀田鵬斎<かめだほうさい 宝暦2年〜文政9年(1752〜1826)>の字です。
※彼の狂詩の一つ「酒徳経」を掲げておきます。
吉野竜田也隅田川 よしのたつたやすみだがわ
酒賀無礼婆只之処 さけがなければただのとこ
劉伯倫也李太白 りゅうはくりんやりたいはく
酒乎飲弥婆只之人 さけをのめねばただのひと
酔酔酔酔酔也薩阿 ゑひゑひゑひゑひゑひやさあ

昔、西宮の路地は高い酒蔵で両側が迫っていたため、暗く狸がよく出たそうです。その中を、宮水を運ぶ大八車が行き来しました。この大八車が走りやすいように石をレール状に敷き、その道は港へとつながっていました。これを板石道と呼びました。

ここは昭和30年代の上棟のため、「明治の酒蔵」というテーマから外れるので、復興計画の中では取り壊しを考えていました。しかし、大震災を経験し「震災を記憶する」というテーマには叶っているため、残されました。当時は、麹室として使用されていましたが、現在は多目的ホールとして使用しています。

昭和20年代まで使われていた釜場跡です。石炭を使用しており、煙突がありました。しかし、その煙突は屋外には出ておらず、煙出しのみがありました。炊き口を囲むように壁があったようなしっくい痕跡が見られます。

道具コーナーにある酒造道具を台の上に置く、もしくは酒造道具についている番号を画面下のキーで打ち込むと、その酒造道具の解説が始まります。また、クイズが入っているものもあり楽しめます。装置の解説よりも、酒造道具を持って、重さ・手触り・仕組などを知ってもらい、どのようにして使ったのか?どうしてこの木を使ったのか?などを感じてほしいです。

槽場は酒をしぼる場所です。槽(ふね)の中にもろみを入れた酒袋を並べ重ねて入れ、初めは酒袋から酒が自然に流出し最後には圧力をかけてしぼり、酒と酒粕に分けます。 この槽場遺構は半地下式コンクリート製の基礎が合計4槽分確認されています。







